コミュニケーションを避けてしまう自分

未選択

さっきニートの三種の神器について書いたけど、世間では既に浸透しているであろうモノやサービスで自分が使っていないものって結構あるな。
mixi
Web2.0が世間で広まっていた頃:2005~2006年頃にAmazon、Google、ブログ、Wikipediaと一緒に取り上げられていたネットサービスなんだけど、先述のサービスは使ってもmixiのようなSNSというのはどうも自分には縁がないというか、コミュニケーションツールとしてのサービスって使ってない。実際使えば便利なのかもしれないし、そこから人脈・行動範囲が広がるのかもしれない。だけどやっぱり自分の性格には合わないなって思う。
twitter
これはつい最近流行りだしたもので個人のつぶやきに対して閲覧者からのフォローが入るというシステムなんだけどこれってブログでいいじゃんなんて思うんだよね。自分って何か伝えるときってどうも身構えてしまってまずいことは書けない、書き捨てするのはもったいないとか思ってしまう性分なんでやっぱり使ってない。
携帯電話
これはネットサービスじゃなくてモノなんだけど1990年代後半から普及しているはずなのに使ってない。具体的に言えば親から持たされたんだけど目覚まし代わりのアラーム以外で電話とか使う機会ってほとんどなかったし、使えば電話代かかるからそれを躊躇してしまうんだよな。
今は連絡手段として就職活動や仕事中に必要なんだってのはわかる。緊急事態のときにも持っていればなんとかなるんだろうと。
世間に浸透しているもので自分が使っていないものっていうのはコミュニケーション・ツールなんだよね。何か連絡が来ればそのレスをしなければいけない、みたいな会話のキャッチボールといったことが子どもの頃からできなかった。だから避けてるのかな。これらが害悪であると思っているのではなく、自分さえ納得すれば便利なものなんだろうという気持ちではあるけど。
確かにパソコンを使ってブログを書いている、掲示板に投稿している、見たいな事はしていても自分で書いて自分で納得するみたいな常にレスをもらわないときがすまないとか言うものでなく、返事がしたいときに自分の気が向いたときにするといったなんともマイペースな感じでつまり時間というものに急かされたくないのかな。自分がニートをしている理由や引きこもってネット収入で生きて生きたいというのはこの性格からきてるんだよな。
社会不適合者っていうのはまさに自分だって思ってる。だけど社会復帰を目指している、就職して社会人として認められたいという考えはもっていない。自分がとりたい手段で収入を経て、あとは人に迷惑書けない範囲で暮らしていければそれでいいや。
で、今十分それをやっているわけじゃないか!人の目を気にしなければ自由気ままな生活ができるのだろうけどやっぱり気にしてしまうというのが自分の悲しい性なんだぜ(^^;)

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